匠技の居所

書籍「徳洲会 コロナと闘った800日」を読んで

2023.12.02

肺炎でお世話になった病院

コロナ禍の一年前に京都の宇治徳洲会病院に、誤嚥性肺炎とアレルギー性の肺炎で20日程入院をし、退院後8ヶ月通院、その後に中国で騒動が起き、日本にも飛び火してきた。逼迫した状況になる前に退院、完治したのは運が良かったと思う。私が入院した病棟は呼吸器内科がメインの階であった。そういう事もあり書籍の背表紙に徳洲会とあったので手を取った次第である。私の主治医と世話をしてくれた病棟の看護師さん達もコロナ禍の対応に巻き込まれたのだろうと思っていたので、パラパラとめくって見ると宇治徳洲会病院の事も若干書いてあり、図書館にて借用した。

徳田虎雄氏のポリシーを具現化した病院

若い時、徳田虎雄氏の事を書いた本を読んだ事もあり、すごい信念を持った人だという認識は持っていたが、今回読んだ本は徳田氏本人ではなく、そのポリシーを実践している人達の話である。コロナ禍で周りの病院が敬遠する中で、如何に急病人を受け入れる続ける決断と実行していくのかを追ったドキュメンタリーである。眼の前に医者が必要としている患者がいたら、診るという信念である。

巻末に近い所で、ある女医さんが医者の長時間労働に関して述べた事が印象に残った。 「上司に労働基準法は関係ないといわれる、それがかっこいいな、と。医者という職業は聖職の一つだと私は思ったんです。24時間365日、祝日も夜間も働くことを要求されている。だから、”働き方改革”の話を聞いた時は『ああ、医者もついに普通の労働者になるんだな』と思いました。仕方のない流れかもしれません。でも本当は聖職である、社会からいつも求められている、いうプロ意識だけは若い医師にもっていてほしい。その意識があれば,『夜間や休日は働きたくない』という気持ちは出てこないはずです。」

今後、社会がどう変わろうが、徳洲会のポリシーだけは失って欲しくないと思う次第である。



乱数に支配されたゲーム

2023.10.22

パチスロというゲームは確率との戦い

前から、ランダムなものに興味を持っている。と言っても、確率論を極めたいというわけではない。博打の中でも好きなのはパチスロである。単にボーナスの当たりを引くだけではなく、最近はまず、何段階の当たりやすい状態を上げていく抽選と落としていく抽選に打ち勝ち、たまたま良い状態の時に当選のフラグを引く必要がある。そういう何百回、何千回、何万回という試行の中で、諸々の勝利のパターンが生まれるし、それが面白い。勝利があれば、敗北もある。それが全て乱数の為せる技なのだろう。

さて、メーカが謳う機械割や継続率というのは実際に人間の感覚とはずれがあるように思う。そのずれを知るためにたまに確率の計算をしてみたりしている。そして、どんなに継続率が高くても、シミュレートをしてみると一回目で外れをひくことも多々ある事がわかる。ずれがメーカの嘘ではなく、言葉の綾、言い換えだけなのである。

そんな馬鹿な事が自分に起きるわけがないと思う事が油断と無知なのである。予知は出来ないが、様々なケースがある事を知ることで挑戦と防御はできる。



猛暑と温暖化(人体600万年史を再読して)

2023.08.02

温暖化は人体の変化をうながすのか?絶滅への道なのか?

猛暑が続いている。暑いのは嫌いではないが、続くと身体にこたえる。汗が長い時間出ては乾きを繰り返し臭いが気になる。人体が汗腺を全身に持ち得たのは、狩猟するため長時間走り続けるために何万年も掛けて獲得した機能である。(書籍によるともっと複雑な要因があるのだが、簡潔に知識を得た⇛⇛理解できない箇所が多いとも言う)
600万年という期間に、諸々な気象の偏移や移動による住環境の変化に耐えて、生き残ったホモ・サピエンスである。他の人類(ネアンデルタール人、ホモ・エレクトス、ホモ・ハビリス等々)はその過程で環境に適応できなくなったか、闘争により滅亡したのかもしれないが、現生人類であるホモ・サピエンスだけが生き残った人類種である。

地球自体は全球凍結や灼熱の時代があり、生命誕生後、中規模の氷河期があったにしても環境に適応し進化してきた我々なのだが、抑える事ができない温暖化という変化にどう人体が適応していくのか興味がある。個々人の熱中症での死、対応できない血族、適応できない人種、長い年月を掛けて生存継続への試練が続き、進化の途中で現在のホモ・サピエンスの大半は絶滅の道へと進むのだと思う。生き残った種だけが新たなサピエンスとして繁栄を極めるのかもしれない。ここで思い出すのは次の言葉である。

絶滅が規則であって、生存は例外である。



蜘蛛に食われた昆虫の残骸をみて思う

2023.07.21

羽根だけの死骸

掃除をしていて、羽根だけが落ちていた。胴体はない。蛾か蝶かはわからない。

床に落ちていた羽根の上を見ると、蜘蛛の巣が張ってある。どうも羽根の部分は食用には適さないようだ。

昔から何度思ったことだろう。神という創造主がいたとしたら、何と残酷な生物の世界を構築したものだと!生物は生きていくためには、他の生物の命を奪い、その栄養素の身体を貪らなくてはいけない。生命を維持するためには他を犠牲にしなくてはいけないのか?

きっと、こういう世界を作ったのは人間でいう「神」ではなく、「悪魔」なのだと思う。

腹が空くと、肉料理が食いたくなる気持ちはサターンの遺伝子を組み込まれているのだろう。



Evernoteには本当にお世話になりました

2023.07.20

素晴らしかったEvernote

こういうコンセプトに惹かれ、文章から、画像、音声、ネットの情報などほぼ全てのことを保存しまくった。 改良と、新機能追加で次々と便利になっていくアプリケーションである。 だから、十年以上もお世話になり、老年期になって記憶力の低下が顕著になっても、検索の仕方さえ覚えておけば、後はなんとでもなるという安心を感じていた。

数年前まではである。

改良への過渡期と思いたい

ただ、使い勝手の悪さと必要な時に閲覧できない、記録できないという致命的な事が長期間続いたせいで、使い続けるという気が失せてしまったのだ。パソコンの創世記から使っている身としては、フリーウェア、シェアウェアなどは不具合の連続で開発者とユーザが共にそのソフトをよりよい物にしょうと不具合を報告して、開発者はバグを潰していくパターンであった。初期のEvernoteなら納得して使い、より良い製品にして頂くまで待つかもしれないが、成熟したアプリ故、使いにくい道具は我慢してつかうものでないし、満足できなくても機能的に劣っていても、自分にとって十分使えるものならそちら(google keep)を使うべきだと判断した。 いつかはまた、Evernoteを使ってみようと思う時がくるかもしれない。

イタリアの会社に移ってもコンセプトさえよければ、きっと良いソフトに再生できると思う。

ありがとうエバーノートよ



Evernote 以前_Zaurus

2023.07.20

ポケコン

電子手帳が出る前は、ポケコンにて自作のメモ帳を作って、電話帳やアルファベットでのメモ書きを保存できるようにしていた。紙の手帳に記載できないスナックや飲み屋の番号などを記憶していた。

そうした時に、当時としてはわくわくする画期的な製品が現れ、メモはそちらに移った。

ザウルス

若い時、使っていた携帯型情報機器ザウルスというのがあった。初めてパソコン通信をしたのもザウルスである。メモというか、手帳の要素を全て含んでいる代物であった。特に好きだった機能はインク・ワープロという手書きをそのまま行単位で記録してくれるものであり、重宝したものである。今でいう手書きメモに近いが手書きの文章をそのまま残しておけた、優れものであったが、如何せん、初期の頃の電子機器ゆえ、記憶容量はそれほど多くない。ザウルスの新しい機種が出ることに購入していたものであるが、大容量機種と謳っていても今と比べると、記憶量が比較にならない。ただ、電子手帳としての機能は十分であった。

PowerPIMM

容量が逼迫して外部メモリーに保存する事もできたが、ザウルスの機能をパソコンで使えるようにしたいと思い、シャープのPowerPIMMというソフトを購入してみたが、スケジュールがメイン機能でインクワープロの機能は確か閲覧程度だったと思う。ただ、バグが多く、本格的に使うまでには行かなかった。いちいち、ハーネスで繋ぎ、転送や同期をいちいちしなくてはいけない時代故仕方のない事である。

廃番

長らく使い続けてきたザウルスシリーズであるが、カラーザウルスというものに進化したのは良いが、大きさが二周り以上大きくなり、携帯しなくなった。また、初期のコンセプトとは異質の方向に行き、電子手帳というより、ハンドヘルド・コンピュータのような代物になっていった。

使わないうちに、ザウルスシリーズは製造中止になり、PowerPIMMというソフトもヴァージョンアップされず、windowsのバージョンが上がると使用できなくなってしまった。

多分、ザウルスの開発の方向性が一貫していたら、生き長らえたのでないだろうか。
その意味では最近のEvernoteの開発方針の変更が凋落を産んだのとよく似ているような気がする。



Evernote以前_紙copi

2023.07.20

thinkbookというアプリがあった

ネットサーフィンをしていて、残して置きたいページがあれば、thinkbookというwindows95のソフトがあり、それで保存ができた。勿論、メモ書きもできる優れものであったが、使い込むと使い勝手の悪さを感じられ、作者も意欲を無くしたのか、バージョンアップされなくなり、我慢しながら使っていた。

紙copi

そのような時に巡り合ったのが、紙copiというソフトである。高校生が作ったと評判になっていたシェアウェアである。必要なネットのページはInternetExplorerなら保存できた。日記機能も秀逸であった。メモと日記の融合というか仮想日付というものもあったように思う。このソフトに日々のデータや残しておきたいメモも数多く保存していた。

携帯はzaurus,パソコンは紙copiにてメモを取るようになっていた。 が、しかし、時代はinternetexploreからchromeに移り、携帯電話からスマートフォン、chrome使いとなった私は、Evernoteへとメモアプリをシフトせざるを得なくなったのである。 移るに当たり、保存してきたデータをどうしょうかと随分悩んだが、移設は諦め、必要なメモは必要になった時に探して、Evernoteに打ち直して保存していたが、結局、日記の大部分はパソコンを買い替えた時に消滅する羽目になってしまった。まぁ、二年間使わないメモは多分今後も使わないだろうという安直な考えである。

この考え方が、10年以上使用したEvernoteを諦め、google keep + document に移る時にも参考になった。一万近くあったノートの大半は使わないだろうという考えで必要最小限に絞って移し替えた。その時、分かったのだが1000個程度のノートを保存したが、実際に必要なメモは200もなかったという事である。(一つのノートに多くの情報が入っている場合もある) 勿論、過去の事を全て残しておきたい人もいるだろうし、一概に言えないが、残っている余生を有意義に過ごそうと思えば、過去の不要なメモは捨て去るのが一番である。



暑さに強いホモサピエンス

2023.07.19

四足動物に比べて暑さに強い人間

挫折しながらでも、読み進めている人体600万年史であるが、暑い季節がやってきて興味深い記述に出会った。

吾輩の猫達も、かつて飼っていた犬達も暑い夏は苦手のようである。太陽が照りつける日中に周りの野良猫が徘徊しているのをあまり見たことがないし、餌をねだりに来る野良猫達は早朝か夕方、夜が多いようである。さすがに、酷暑と呼ばれる気象条件の時は人間も出歩くのを避ける傾向はあるが、テレビを見る限り遊びに出掛ける人間のなんと多いことかと感心する。

二足歩行する人間は、四足歩行の動物に比べて直射日光の当たる面積比が身体全体に比べて少ないから体温上昇の面で有利なのである。こういう見方をした事がなかったので新鮮であった。毛皮を着た背中全体に直射日光が当たれば相当体温が上がるだろう。

暑い最中の日中に動き回る人間の特徴は、サピエンスの進化の初期の段階の名残りだと思う。サピエンス発祥の地である赤道直下のアフリカで進化してきた人間は四足動物に比べて昼間に動き回れる特徴を有していたのだ。有害な肉食動物が寝そべっている間に移動できるのだから。そして体温を上げずに長距離を歩ける又は走れる能力は大事な適応だったらしい。



歩く事走る事

2023.4.15

人体600万年史を読み進めている

ここで書く内容は本の要約ではなく、読んでいてふと賛同したり、ふと思ったことを書いている。

人類は数百万年という時を経て、二本足で歩く事を会得し、歩く事で進化してきた。今の身体と脳は歩くことによって形成されたと言っても過言ではないだろうか。私は生まれてしばらくしてから歩いてきたし、走りもしてきた。歩く事は当たり前のことであり、何も疑問にも思わなかった。

歩いたり走ったりすることは人間にとって基本の動作なんだろう。高校生時代一流選手ではなかったが、走ることは楽しかったし、低山の森や林の中を走る(クロスカントリー)時野生に戻った感じがし、、アスファルトの上を走るより早く感じる事が多々あった。もしかしたらそういう記憶が潜在的に残っているのかもしれない。

歩く事で進化した人類が歩く事に億劫がり、車などの移動体に頼り切ってばかりいると、進化の方向が曲がってしまうのではないかと思ってしまう。良い方に曲がるか悪い方に転ぶかは未来になってみないとわからない。



Evernoteから離脱して数ヶ月

2022.12.10

メモアプリとして十年以上Evernoteを使ってきた。本当にメモを貯める分には便利な機能が一杯だったし、後からメモを検索して活用したり、複数のメモを簡単に一つにまとめる事も楽であった。でも、使うのを辞めることにした。

Evernoteの不具合の多発が元々の原因であるが、それを切っ掛けにして、保存していたデータの見直しをしてみた。多分、私が社会人としてバリバリの現役ならば、Evernoteから離れることはなかったであろう。齡70歳になると15,000という保存していたノートというデータにあまり意味をなさなくなった。むしろ、邪魔になり本当にこれから必要になるデータが埋もれてしまうだろうと思った。過去に保存してデータが陳腐化していたり、Evernoteで保存していたデータを検索して再利用するより、ネットで検索をした方が新鮮な結果を得られるようになった。

全てのノートを見直した結果(現役の時なら、見直す時間の余裕はなかったであろう)、手元に必要なノートのデータは300程度であり、これから使いそうなのはその中で70程度と考えた。GoogleDocumentsとスプレッドシートに分散して保存して、日頃使用しそうなデータはkeepの方にも写し、こちらは日々更新させている。今後価値がないと判断した大半のノートは消去して、Evernoteと別れることとなった。今まで活用させて頂いたEvernoteには感謝しかない。多分、不満を募らせて使い続けていたら、そのアプリに嫌悪しか感じなくなっていたろう。私の場合は、Evernoteの変革の時期と現役引退が同時期だったせいで、データの整理とアプリの移行を気軽に行う事ができた。

まぁ、終活にあたって、自分にとって不都合なデータを削除できたことはよかった。



安倍元総理の国葬

2022.07.16

自民党に政権を委ねているのだから、どういう判断で行うのかは自由である。

ただ、私個人的には、彼の国葬を心から喪に服する気にはならない。勝手にやってくれ、という気持ちでいっぱいである。反対する国民もいるが、反対する気にならない。むしろ、関心があるのは、国葬の日の状況である。国民の大半が喪に服しているのか、それとも、政治家だけが喪に服する雰囲気を醸し出していて、国民は知らんふりをして過ごすのかである。それが政権と国民との間の距離感を計る一つのバロメータになるだろう。



全てをEvernoteでやりたかったのだが

2022.06.5

今まで、メモや文章作成、下書き、Todoリスト、チェックリストなどはEvernoteだけで十分だった。義理立て??してずっと使ってきたが、行動していくのに遅滞が生じるようになってきている。電話中に資料を見たい時に見れない、とか、チェックリストやチェックボックスにレ点を打って次に進もうとしたら、数分待たされる。

私にとって過去を振り返るより、今の行動の方が大事なのだ。Evernoteで一杯溜めてきたが、ほとんど見る事はなく、死蔵しているし、行動のためのリストは50個もない。その50個がすぐに対応できないと意味がないのだ。



期待すれど、確率は裏切る

2022.04.16

気分転換に5円スロットで遊ぶのだが、面白いように出る時もあれば、一体どうなっているのだろうというぐらい嵌る(はまる=当選しない)時がある。「波が良い」「波が悪い」とのたまうが、それは結果論であり、後から判断することなのである。

最近、Tiger&Bunnyをいう機種で遊んでいて、一回当たりの当選率1/13で試打回数30回の内に当選すれば、次のボーナスに継続する事ができるという最高条件状態になった。喜んだのは言うまでもない。どれだけ継続するのかワクワクしたのだ。が、結局、一回も継続せずに終了したのだ。だいぶ前にも同じ状態になった時は、6回程度続いた記憶があるのだが、今回は、なぜだ!と心の中で叫ぶ程運の無さに怒りを覚えた。そんな馬鹿なという気持ちが続いた。

そして、スロット本体の表示にも1/13で30回という表示の横に△△%というものが出ていたのを思い出し、一度自分で確率を計算してみた。

どうも、1/13という数字の魔術に取りつかれて、実際の継続率の本質を見誤ったようだ。約10回に一度ぐらいは継続しないという事だ。ということで、あくまでも確率だけで期待をしてはいけないのだ。続く可能性はあるが、あくまでもあり得るという事だけである。



石原慎太郎死す

2022.02.02

若い時、好きな作家だった。

大学3年の有志の技術系会社訪問旅行の時、旅館で性器での障子破りや当時流行りのストーリキングを浴室から部屋まで全裸で走り抜けた。多分、世相と小説の影響があったのだと思う。ただ、ちょっとしたバカ騒ぎをしてみたかっただけだ。後で、引率の教授から笑いながら叱られた。

弟の裕次郎は好きになれなかったが、慎太郎氏は硬派のイメージで崇める偶像であった。



年寄りの自転車

2022.01.26

20歳前後特に高校生時代から学生にかけての、自転車のペダルを力強く漕ぐ時の筋肉の悲鳴に、若干の快感を感じていたように思う。だらだらとゆっくりと足を回転さすと罪悪感すら覚えた。それはランニングの時も同じである。

70歳になろうとしている今ペダルを漕ぐとき、力を入れようという気が起きないのである。筋肉の躍動感に喜びを感じなくなっている。筋肉の悲鳴は苦痛なのである。



yaml形式に変更した

2022.01.10

前からやりにくいと考えていたxml式での作成を、yaml式に変更し、後の処理が相当楽になりました。jsonの仕組みも調べてどちらがよいか?これからの事を考えると、Jsonもひとつの選択肢になったが、いまひとつよくわからないので、今後必要になってから考えてみよう。(逆引きハンドブックの第二版でyamlの説明がなくなり、jsonが追加されていた。)

調べてみると、jsonが主流のようだが、一つの課題としておいておく。勉強していると本当にやりたいことが出来なくなり、時間ばかり過行く。それからいくと、プログラムの種類もpythonの方がrubyより評価が高くなっているのが、気になるが、残り少ない人生で新たに学習して時間を潰すより、今ある知識で対応した方がより多くの事ができる。気になっても必要になってからだ!!



夕焼けと虹

2021.08.21




緊急事態宣言も甘くみられたものである

2021.08.18

京都は20日から緊急事態宣言である。

私が通っているスポーツジムからメール連絡があり、てっきり又、宣言中は休業案内だろうと思ったが、ここ数か月と同じ営業体制でするとのこと。私自身は営業の方がありがたいのである。休業になると、日常行く場所がなくなるのと、せっかく維持してきている筋力が目に見えて落ちるのだ。老人(本人は老人とは思っていないが)になると、身体は動かさないと固くなるし、酸素摂取量も、筋力も低下する。だから、ジムは開いている方が嬉しいのだ。

蔓延防止から緊急事態が発令されて、一体何が変わるのか、実はよくわからない。これは自分の身の回りだけでの判断である。勿論、影響を受ける方々もおられると思うが、一回目の緊急事態の時は「やむを得ない」と「感染したら怖い」という緊迫感があったが、今はない。まぁ、困ると言えば、居酒屋やバーで終日酒が呑めなくなることであろうか!!夫婦で寿司を食いにいっても、お茶を飲みながら食うのは旨くない。やはり、ビールある方がずっと旨い。

緊急という言葉に、僕自身は今は緊張感は無い。



コロナの感染爆発よりアフガンの方がニュースが気掛かり

2021.08.16

昨日までは感染爆発、医療崩壊が自分にとって、一番の関心事であったが、今朝からはタリバンのアフガン首都制圧の方が気掛かりである。いや、深く考えてみると、制圧された事が重要ではなく、その前提であるアメリカ軍撤退とその予想が外れたことであり、首都陥落の時期の米国の見通しの甘さである。

アフガンのソ連侵攻も若い時、テレビにくぎ付けになった。ソビエト軍が撤退した時はそんなものかという程度であったが、米軍が撤退するという事に将来の危惧を感じてしまう。バイデン大統領は次のように言った。

「アフガニスタン」という国名を「日本」に置き換えると、恐怖を感じるのだ。日本は属国的な同盟国であり、ハワイのようにアメリカの州ではない。将来、非常時には、捨て石にされる可能性があるとも読み取れるのだ。

そういう世の中が来ないことを祈ろう。



気持ち悪い夕焼け

2021.07.27



暑い夏がやってきた

2021.07.17
夏は嫌いではない。



コロナ禍でのオリンピックが楽しみである。

2021/06/13

私は二つの意味で楽しみである。

  1. 行動制限された選手たちの活躍を見ることができる。
  2. 悪い方の楽しみであるが、開催中のバンデミック悪化によるIOCと政府の対応である。

ウィルスが悪いのであって、選手個人に責任はないのはわかっているが、政府と東京都とIOCには辟易している。開催されるであろうオリンピックが行われたなら、それなりに楽しもうと思っている。テレビは見る気がしないが、ラジオぐらいは聞くであろう。興味があるのはメダルの数程度であるが。。。

映画でパニック物が好きな私は、心のどこかに開催中にパンデミックが起き、右往左往する政府の姿を見てみたいとも思っている。前の政権と今の政権は大嫌いである。開催による少々の感染者の増加程度なら、きっと国は、東京オリンピックは大盛況の内に幕がおり、成功したと吹聴するに違いない。それはそれで、国民も納得してしまうだろう。映画並みの混乱が生じたら、国はどう対応し、海外からの人たちを優先するか、または国民の救済を優先して、活動するのだろうか?そういう事に興味がある。

古代オリンピックが何故消滅したのかは知らないが、クーベルタンの近代オリンピックの精神がなくなった今、そろそろ終了してもいいのではとも思っている。商業主義とアメリカ(メディア)主体の五輪には初期の精神を感じられない。



自動機械機構学 牧野 洋著

2020.11.04

この書籍は私が初めて入社した会社で世界で最初のマイクロコンピュータ制御工業用多頭色替え刺繍ミシン設計の折、リンク部の解析に活用した本である。私にとっては、バイブルである。もう、絶版になり、手に入らないようである。この内容のおかげで、設計からNC機械加工業に移っても、計算に困ることはなかった。この本のお蔭で、一生食い扶持にあり付けたようなものである。

自動機械機構学の表紙の画像



自分の事は書くな!!

2020.09.30

個人の経歴などはネットに載せる必要は無い。

自分の事を書いても他人は無関心である。興味もないだろう。

ゆえに、客観的に技術の事だけを書いていけばよい。



書けない

2020.09.23

常日頃何かを書きたい、一杯書くことがありそうな気がしていたが、いざ、自由になる時間ができ、書ける環境が整ったのに筆が進まない、実際はキーボードが打てない状態が続いている。イメージだけあっても、実体が伴っていないのである。書きなれていないのである。常にそのことだけを考え、実行に移していれば、慣れるのであろうが、いつでもできると考えて他の事をしてしまうのが良くなかった。

藤井聡太氏のように、常にそればかり研究、考え、実践していけば老体の自分もある程度は集中できる力がつくのかもしれない。68歳になった自分には集中力が足りなくなっているのだ。気力もだ。



膝が痛いということ

2020.09.11

腰痛もした、肩痛もしている。リタイアしてから、腰はましになった。膝痛だけは続く、関節内にヒアルロン酸の注射をしているが、ぶり返す。

若い時から走ることは好きであった。ジョギングという言葉が流行る前から、ランニングをしていた。路上などで走っていると、まだ、奇異に見られる時代からだ。走ることが日課であったように思う。
いつでも走れると思っていた。甘い考えであった。歳をとってもジョギングできると・・・

今は、ゆっくりとした散歩がせいぜいであるが、突然、痛みがひどくなる時があるから、遠くにはいけない。ゆえに、スポーツジムのトレッドミルの上で歩くまねをすることになる。

今の目標は痛いところを直し、せめて一時間走、できれば二時間走ができることである。



HomePageの記事を書くという事

2020.09.07

意味のある記事を書くというのは、意思と根気と能力がいる。漠然と何かを書きたいというのではなく、イメージ的に「このようなホームページを作っていきたい」と頭の中で思ったとしょう。イメージを具体的に思い描かないと、今、一体自分は何を書いているのだろうと不安になる。いや、不安というより時には無意味なものに思えてしまう。そうすると、キーボードやマウスでの作業が億劫になってくる。書きたいことはこんなことではない、と感じてしまう。

思い描いたものを文章やスケッチ画にしてみても、最初の構想からずれているような気がしてならない。でも、幾つか書いてみると、部分部分は大事な要素なのであって、構想の一部を担っているのがわかる。ただ、構想の最終的な形からほど遠いだけなのだ。

作成の技術の未熟な状態から作り始め、徐々に知識が増えると、構想自体が進化するので、過去に作ったものとの整合性が取れなくなってくる。それも困ったものである。古いものを破壊したくなるのである。その気持ちをぐっと抑え込んでいるのだ。蓄積こそ財産である、と唱えている。



残りの人生をどう過ごすか?

2020.09.03

幾つかの会社人生を終わると、68歳という年齢が待っていた。働きたいようでもあり、老人としてのんびりと日々過ごしたい気もある。仮に、職探しをしてもすぐ見つかるとは思えないが、何かをしていないと惚けそうである。私の兄は二年前にレビー小体認知症が発症し施設に入っているから、少し私自身惚けないか心配である。

会社という組織で働いていると、余暇で何かを成し遂げたい、作りたいと思っても、疲労のせいで、横になったり酒を飲んだり、映画を観たりで本当に取り組みたいことに着手しなかった。朝目を覚めたら、夜少しでも進めようと決意するのだが、会社から帰ると、自堕落に過ごしてしまった。 これから死ぬまでの間、少々自由な時を過ごすことになる。決意ではないが、自分が経験してきた実務のエキスをHomePageにしたためるのも良いかもしれない。願わくば、怠惰な余生だけは過ごしたくない。



HomePageに戯言を書いていては駄目

2020.09.02

自分のホームページに日記風の内容を書くのに飽きてしまった。人によってホームページの目的が違うはずだし、個人と企業の物とは全く違う。自分は何がしたいのか?むしろ、それが問題である。目的が無いと、何かに対しての戯言になってしまう。他人の戯言など、私自身は読みたくもないし、書きたくもない。しかしである、目的のないブログなどはえてしてそうなってしまうのだ。自分が気付かない間に、他人が読みたくない代物になっている。



政治が大きく変わる気がしない

2020.09.01

旧社会党土井さんの「山が動いた」時と旧民主党の小沢さんが暗躍した時は政治が大きく動くのではないかとワクワクしたが、今回、安倍首相の退陣による政局には何かが変わるのではないかと、いう期待感は全くない。

むしろ、災害と感染の時代ゆえに、大きく変わるよりは、小さく移ろう方がいいのであろう。大きなうねりは若者たちの世代に任せた方がいい。若者たちの判断で世の中が変わった方が良い。



権力者 検察を手中に

2020.05.10

権力があれば、なんだって出来る日本、なんだって許される日本がやってくる。それが良いか、悪いかはわからないが、そういう日本が出来つつあるのだ。日本人に好きな武将に信長、秀吉、家康があるが、権力を持って好き放題していた彼らを賞賛してきた。勿論、その時代時代に権力に対抗する人々がいただろう。絶大な権力を持っても、いつかは別の権力に置き換わってきている。昔と違い、今は民主主義の時代だという人もいるだろう。しかし、「力」を持てば官軍なのである。民主主義の世は「数が力なり」なのだ。自民党と公明党に「力」を持たせたのは国民である。だから、主権は国民だけど、権力を持っているのは自民党である。今はもう仕方がない。ただ、未来を徐々に変えることができるのだ。

日本も何度か、権力の変遷を重ねてきている。大きく変えるか、徐々に移っていくかである。これからの日本はどのように変わっていくのであろうか?怖いようでもあり、楽しみでもある。市井の一市民である小生が出来る最小限の事は選挙に行くことである。そして、将来の「力の種」に加勢する事である。「蒔かれた種」には必要な時に水をやらねばならない。



地球環境 対 人類

2020.04.04

新たなウィルスは地球環境が生み出すものであり、現在、人類が地球上に反映したのも、地球の環境がホモサピエンスにとって最適の環境になったからである。新型肺炎のウィルスが出現して、拡大しているのは、彼らにとって住みつく母体が繁栄したおかげでもある。



かかりつけ医

2019.08.04

かかりつけ医は、手頃な所で済ませてはいけない。

長年、行きつけの医者を自分では、かかりつけ医だと勘違いしていた。お願いしたら、必要な薬を見繕ってくれ、処方してくれていた。

藪医者ではないが、血圧が少々高くても、健康な状態でずっと、月に一度通っていた。設備が悪いせいもあり、重要な場面で、手遅れになりかけたのだ。血液検査を外部に出すせいもあるが、高熱が出ていても、結果をみるまでは、正しい診断(判断)できないのである。

どうも、風邪でのいつもの症状ではないと、明くる夕、比較的最近できた町医者にいくと、すぐにレントゲンと血液検査をしてくれ、肺炎と診断。近くの大きな病院に紹介状を書いてくれ、即、その夜入院して、大袈裟なようであるが、一命を取り留めた。

今は、紹介状を書いてくれたその医者が、私のかかりつけ医である。

医者の勘より、検査数値の方が正確なのだ。



サウナの中で暑い暑いという輩

2019-08-04

サウナの中は暑いものである。温いのはあっても、冷たいサウナというのはほぼ無いでしょう。

私がよく行くスポーツジムにもプールサイドに赤外線サウナがあり、温度は常時60度ぐらいであるが、結構、暑いのである。 で、そこに、常連のおじさんが入室して、大概いつも、「暑い、暑い」と独り言をいうのである。

他の人は、皆、暑いのを我慢して、じっと、しているのであるが、その方は、「暑い」の連発をして、退室していくのである。どうも、汗を一杯出しに入って来ているのでは無いようである。

私を含めて、他の人は多分、暑いのを少々我慢して、汗をたっぷり、もしくは、適度に排出するために、サウナ室で座るのである。 私のお気に入りの入り方は、マシン・ジムで筋トレをして、トレッドミルなどの有酸素運動をしてから、サウナに入り、クールダウンのつもりでプールでひと泳ぎして、ジムから退出するのである。



ビールは控えめに

2019-05-05

昨夜、備長炭扇屋とチッピインで生ビールを6杯ほど飲んだせいか、朝の血圧が高めであった。

150を超える程の値であった。

明後日は医者に行く日である。酒は控えるようにしなくてはいけない。



最後のお別れは自分

2019-05-01

あるラジオの番組を聞いていて、「なるほど」と思ってしまった。 60年以上生きていると、何十回と葬式に行き、「お別れ」の儀式をして葬送してきた。両親は勿論、友人、知人、近所の人などを見送ってきた。

自分では気付いていなかったが、一番最後に見送るのは「自分」だとやっと気付いた次第である。いつかは、死というものが自分にも来るとは思っていたが、自分で「自分」をお別れするという感覚はなかった。 しかし、「お別れ」の中で一番大切なものは、自分なのだ。死に際して、思うことは一杯あるだろうし、死ぬまでの間に一杯、思わなくてはいけないのだ。何故なら、目を閉じてしまったなら、「思う」という事、感傷に浸ることはできないのだから。

3月末から4月初めの21日間、突然の肺炎で、入院を余儀なくされ、10日もの間、絶食点滴治療をしてしまった。自分が、入院する程の病を持った事に戸惑ったものである。今も完治はしていないが、全く、「死」というものが自分に訪れるとは思っていなかったので、人生に対して反省もせず、ひたすら、健康になることだけを考えていた。後から、医者から聞いた話では、入院当初は、検査の数値的に危険な状態であったらしいのだが、幸いな事にしんどいながらでも、改善していった。

今から思うと、あのまま入院せずに、敗血症などになっていたら、もしかしたら、病の床で、意識しないまま、自分に対して「お別れ」の挨拶せずに旅立つことになったかもしれない。

自分は、死の床、死の瞬間、どのように思ってお別れするのだろうか?