匠技の居所

70歳で鼻中隔湾曲症の手術

2023年3月15日(ほぼ一年から一年半前)に書き始めました。

何故、手術をする羽目に陥ったか?

私は睡眠時無呼吸症候群である。若いときから、いびきが煩いと言われ続け、寝ていて大きいいびきが止まったかと思うと呼吸まで停止していると家族が思うほど酷いらしい。本人はそういう自覚などない。数年前に誤嚥性肺炎になり、いびきの件があるので、個室を選んだ。治療は呼吸器内科で受けていた。治りかけた時、いびきの件を相談してみたら、睡眠時無呼吸症候群の科があるので、簡易検査を受け、その後、本格的な検査を受けたら、CPAPをしましょうということになりました。

私のCPAPは鼻にカバーして、鼻から空気圧を掛け睡眠時のイビキを軽減するタイプなのである。花粉症のシーズンになると、鼻詰まりがひどく、空気圧が高くなっても息がしんどいと感じるようになり、掛かり付けの医者に相談すると、耳鼻咽喉科を一度受けてみたらと言われ、20年ぶりに受診したところ「鼻中隔湾曲症」と診断、それも結構曲がっており、手術しか治す方法が無い、と言われたのが手術をする発端である。

耳鼻科の医者からすると、そもそもCPAPを始める時に、もっとしっかりと原因を探して、鼻中隔湾曲症を直してからするべきものだと、のたまう。多分、これをそのまま内科の先生に伝えると気分を害するだろうから手術が終わった後も話していない。「70歳だけど、まだ十分、手術をしても価値をあると思う」と述べられる。とても、手術は嫌だぁ~と言えなかった。

町医者の耳鼻咽喉科では手術をしていないので、他を紹介するという話に自然になり、近場の大きな病院はその手術は得意でないが、隣町の病院には上手な医者がいるので、そちらを薦めると言われ、そのまま受け入れ紹介状を受け取り、担当医師の診察予約まで取って頂けた。

病院にて診察

二週間後、紹介状を持って、隣町の病院に向かい、受付を済ます。

鼻の中を内視鏡みたいなスコープで覗いて、「空気の通り道が結構狭いですね」といい、詳細な診断をするためにCTを撮ってきてくださいと、画像診断検査に回され、終わったらまた、診察室の方に戻ってきてください、と指示される。すぐに撮ってもらい、医者の説明を受ける。諸々とどの軟骨を削り、鼻の穴を広げるためにどこの肉を取り除くかを早口で聞き、こちらはハイハイと頷くだけであった。こちらが知りたいのは、どの程度痛いかであるので問うと、 手術中は全身麻酔だから痛みは感じない 術後は痛み止めを処方します。 人それぞれに痛みの感じ方は違うが激しい痛みはない。 と返事。やはり、不安は解消されない。 結局トントン拍子で、手術の日取りが決まり、入院日と大体の入院日数及び入院前検査日の日を指定される。コロナが収束してきているとはいえ、入院前日のコロナの検査まで言い渡される。

もう自分の気持ちよりも、医者の申し渡しで物事が進んでいく。ようは医者に任すしかないのである。

手術前検査と処置(手術日一週間前)

さて、手術前検査はなんのためにするのか?手術するとは決めたけれど、手術をしても身体が大丈夫か、耐えられるかを病院側が慎重を期して調べることだそうだ。 全身麻酔で人工呼吸器を装着するので、口から肺へパイプを通す必要があり、装着時に口内の菌が肺に入らないよう、口の中の状態を調べ、歯のぐらつきがないか、歯茎の状態などを歯科医が手術中に抜けたり支障がないか調べてくれた。

人工呼吸器装着のために、肺の状態を調べて貰う。レントゲンと肺活量と息を吸う吐くの動的な検査をしてから呼吸器内科の診察。 それで、大丈夫のお墨付きを貰って、手術室担当の看護師による当日の病室から手術室に入るまでの手順の説明と受けた後、麻酔医による麻酔までの手順を聞く。 それが終わって、手術担当の医者の診察室に行き、宜しくお願いしますの挨拶だけして終わり。

PCR検査(入院前日・手術日二日前)

入院前日に、入院時にコロナに汚染されていないかの検査のためだけに、病院に。
医者による診察はなく、看護師さんから受け取った器に、口の中に貯めた唾を吐き出し、量が足るか確認して、終わりである。
明日は入院である。

入院当日・手術一日前

土曜日、日曜日を挟んで木曜日から6日程病院内にて生活である。 午後2時に入院 午後3時より歯科にて、歯科衛生士さんに口の中を掃除してもらう。 全身麻酔で、人工呼吸する時、装置のパイプを口から肺に向けて挿入するため、口内のバイ菌が肺に入らないようにとのことである。

食事は全粥360g主食と簡単なおかずだけであり、これ以降は水かお茶以外は口にしては駄目との事である。 明日の手術のためと、以降の術後管理の点滴のために、左腕に点滴針を刺され、刺したままの状態で就寝。点滴自体は明日の朝するらしい、だから明日の朝からにして欲しかった

入院二日目・手術日 2023年2月17日(ほぼ一年から一年半前)金曜日

手術の早朝である。いつものように午前5時に目覚める。2月なのでまだ、病室は暗い。もう本当に引き返せないなぁと思いながら、カーテンを開けて外を見る。少し雪が舞っていた。手術は一番の9時からと聞いていたが、8時から手術に先立って病室で点滴を始められた。どうも鎮静剤のようであるが、説明はなかった。 生死に関わる手術ではないので、精神的には楽であるが、痛みへの恐怖はある。

午前9時より手術室に向かう。 手術室には歩いて向かうのだが、看護師さんが「歩けますか?」と心配してくれたが、大丈夫なところをみせるために、うなずいてベッドより起き上がり病床担当の看護師さんの後ろに付いて、7階の病床から3階の手術室にスタスタと歩いてゆく。 3階の手術室は大きく、ドアを開けて貰うと、手術室担当の看護師さんにバトンタッチされ、手術室の中には幾つもの手術部屋があり、ほぼ一番奥の方まで歩かされる。 手術される部屋は医療ドラマで見るような大きな無影灯など目の前になく、ストレッチャーみたいなベッドに誘導され、横になる。

とりあえず健康状態を聞かれ、大丈夫ですと答えるも、点滴の針を刺した左手首が若干痺れているようなので麻酔医の方と看護師さんに伝えておく。手首を捻る動作をすると痛いような感じも。

手術台に横になり麻酔薬投入。・・・ (意識無) 目覚める。執刀医が手術は終わりました。奥さんに無事に完了しました、と連絡しておきましたと、ぼーとした頭で聞く。

ストレッチャーで病室まで運ばれ、緊張が解けた瞬間、鼻呼吸だけの苦しさを実感し始めた。鼻詰まりでの口呼吸とは比べ物にならない違和感と異質感、そしてこの状態が何日続くのかという恐怖感が涌いて来る。 次に襲ってくるのが顔の中央部から上の鈍痛と、若干の発熱である。 耐えるしかない。耐えねばならない。 本日はずっと絶食である。口にできるのは、水とお茶だけである。

術後一日目

夜中に断片的に寝られたかというと寝ていたようだが、意識の上ではずっと起きていた記憶しかない。 昨日よりの口呼吸だけの状態がずっと続くのかと気が重い。 それと喉の奥にへばりつくねばねばしたものと喉の乾燥が一緒に襲ってくるのが滅入るが、諦めの境地だろう、鼻呼吸と鈍痛に慣れて来ている自分がいる。

昨夜からずっと数時間ごとに様子を見に来てくれる夜勤の看護師さんに感謝である。一度夜中に鎮痛剤を貰った時鼻の穴の周りの血を拭いて下さった時はうれしかった。頻繁に穴のタンポンを交換しなくてはいけなかったのだが、寝ていて出来なかったのだ。このタンポンの交換は自分でしなくてはいけない。

8時前に術後初めての食事が配膳された。重湯とゼリーであるが、鼻が完全に塞がっているので、無味無臭である。味気ない食事であった。

8時20分頃に昨日手術をしてくださった医師が声をかけてくださる。気にして頂けるだけで若干何かあった時の安心感がある。「どうですか?」と聞かれ、鼻詰まりの声で「大丈夫です」と答えていた。痛くて仕方ありません、と大袈裟に言えばよかったが、言えなかった。
「月曜日に順調なら、ガーゼをとります」と言われ、キョトンとした顔をしたのだろう、鼻の奥にガーゼを3枚ずつギンギンに詰め込んであると説明を受けた。

本日はずっと鼻のタンポンを交換するのが小生の仕事である。血が滲んできたと思ったらひたすら交換するのであるが、徐々に交換する間隔が長くなってきているのに気付く。 昼食、夕食とタンポン交換、それで一日が終わる。 看護師さんに自販機のコーヒを飲んでいいか?尋ねると、許可が出ていないので、水かお茶にしておいてくださいと注意を受ける。 夜就寝前に、痛み止めと滅菌タンポンのおかわりを貰っておいた。10時消灯。

術後二日目

日曜日である。さすがに、今朝は医者は病床に来てくれなかった。別にきて欲しいとは思っていないけど。

三度の食事と滅菌綿球のタンポンの交換、そして、読書の一日。
出血は極端に少なくなってきている。嬉しい。口呼吸だけの日々は今日で終わりになる事を祈ろう。

術後三日目

口呼吸だけの睡眠には慣れないけれど、しっかりと眠れたと思う。朝食も待ち遠しくなった朝である。

外来診察前の8時30分頃にお医者さんが来てくれて、枕元の交換タンポンの袋の量を見たのだろう、「外来でガーゼを取りましょう、後で来てください。」と言われた。

外来が始まる9時前に、看護師とちょっと違う制服の方が「外来に来てください」と呼びにきてくれ、パジャマの上にカーディガンを羽織り看護師詰め所の前を通り過ぎようとすると、看護師の方が止めに入り、「鎮静剤を点滴してからでないと相当痛いですよ」と患者として意味不明の事をおっしゃり、ベッドに戻るように指示された。医者に呼ばれた事を言うと、「こちら(看護師)の方から連絡して一時間後にして貰います」と病床で鎮静剤の点滴。どうも鎮静剤を打ってもガーゼを鼻の奥からひっぱり出す時は相当痛いようである。点滴が終わってもすぐには再度呼びに来てくれなく、10時30分頃に外来へ。

痛過ぎるガーゼ除去

高校上級生ぐらいの女性が診察室から出てきて、母親からハンカチを渡され、「どう、大丈夫だった?」と問われ、娘が「すごく痛かった」という会話を聞く。どういう処置をしたのかわからないが、晴れ晴れとした顔をしているのを見て口呼吸だけの生活から開放されたのだろうなぁ、と思う。

診察室に入ってくださいと、呼ばれ、診察椅子に座り、「ガーゼを取りますから、上を向いてください」そして、顎の下にカーブした器を渡され自分で持つように指示される。血と汚物が下に落ちて服に付かないための受け皿である。 力んで肩に力が入り強張っているのだろう、「リラックスして、肩の力を抜いてください」と言われるが、血でどろどろになったガーゼが出てくるたびに自然に力んでしまう。力まないと我慢できないのだ。いや逆である我慢するために力んでいるのだ。 3枚ずつの計6枚取り除いて、消毒して終了。これから二月程は朝夜二回鼻うがいをしてください、後で看護師から鼻うがいの指導を受けてください、と申し渡され外来診察室を出る。痛かったけど、鼻で呼吸ができるので、晴れ晴れとした顔になっているのを感じる。

鼻うがい始まる

昼食は味もするし、香りもする。素晴らしい食事が戻ってきたのだ。

500mlのペットボトルを用意しておくように言われていたので、午後3時頃自販機に飲み物を買いに行き、本当は飲みたいものは他にあったのだが、今必要なのは500mlのペットボトルなので、ボスのコーヒペットにした。 夕方近くになり、看護師さんが4.5gの塩の袋を持ってきてペットボトルに塩と温水を入れ、よく振り混ぜて購入させられた鼻うがいの装置に移し、洗面台にて片方の鼻から塩水を入れ、もう片方の穴から水を押し出し、奥の汚れを洗い流す処置を繰り返す。あまりにスムーズに作業をこなすので、「上手ですねぇ」と褒めて貰う。前からくしゃみがよく出る時は自分でも市販の道具でしてましたと伝える。

退院の許可出る

夕方、午後診が終わったのだろう、担当医が来てくれて明日退院してもいいでしょうと言って貰う。予定通りの6日間の入院で済んでよかったぁ~。 退院は明日の午前の診察が済んでからだそうだ。おおよそ10時ぐらいには退院できる、と説明を受ける。ようは、10時に送り出して、次の入院患者が午後2時に来るので、その4時間の間に清掃と消毒をするのだろう。

夕食が済んでしばらく経つと看護師さんが来てくれて点滴の針を外してとってくれた。もう、点滴はないとの事だ。点滴針がない腕を見て病人であるというイメージが薄れていく。ありがたや。

退院・術後4日目

退院の日がやってまいりました。鼻の空気の通りは術前と比較にならないぐらい良い。抵抗を感じない通気性。ただ、顔をしかめたりすると鼻の周りに軽い鈍痛が生じる。それと、鼻の穴に脱脂綿(タンポン)をしておいた方が良いとの事。鼻うがいをすると、ドロっとした鼻水状のものが出てびっくりすることがある。

午前8時45分に外来診療室に呼ばれる。鼻奥にガーゼを一枚入れ、汚れを取る処置と消毒、今後の治療方針(一週間後と、三週間後に来院)、自宅での鼻うがいによる洗浄、抗生物質等の処方等の指導を受ける。再び、痛い目をしたくなければ、守ってくださいと注意を受ける。退院は治ったわけではなく、病院での治療と看護が必要ないだけで、自分による治療が必要だということを肝に銘じた。

病室に戻り、私物の整理をしているときに、退院の手続きと精算の事の書類を渡される。病室から退室するときは、確認のために看護師を呼びにきてくださいとの事。私物を全て大きな鞄とリュックに詰め、看護師さんを呼びに行き、チェックを受け、お礼を述べて病棟より退出し、クレジットで精算、処方箋を受け取り病院を出る。

軽く雪が舞っていた。

午前11時30分頃に家に着き、退院したという実感が湧き出る。自宅での自分による処置の始まりである。

自宅での療養

重労働でなければ仕事をしてもよいし、激しくなければ運動もしてもよいと言われていたので、退院した明くる日は続けて会社を休み、二日後には仕事に行く。ジムだけは念のため一週間程度はやめておいた。ちゃんと朝夜の鼻洗浄と服用だけはかかさず守った。血を含んだ鼻が日が経つにつれ減っていくのを眺めた。

退院から一週目の通院

予約していた時間に行き、20分程待機して呼ばれ、一旦鼻の奥に軽い麻酔?を噴霧をされガーゼを一枚づついれられ、待合で10分程待たされ、再度診察室にガーゼを取り出し、バキュームして鼻水と鼻糞を取ってもらう。肩に力が入る程、痛かった。鼻の中にカメラを入れ状態を確認。順調なら二週間後は痛い事をしなくて済みますと言われる。再び、二週間分の抗生物質の処方箋を頂く。

退院から三週間後の通院

予約した時間にすぐに呼ばれる。軽い麻酔の噴霧とバキュームの後、カメラを挿入。今日は手術後初めて内部の画像の説明を受け、綺麗に治ってきて、傷口も塞がっているとお墨付きを頂く。処方箋は無し。ただ、鼻うがいは適宜行うことを勧められる。次は約一月後の予約を入れてもらう。順調なら病院への通院をこれが最後で、後は紹介して頂いたかかり付け医の方に行くことになるのだろう。

退院から二月後の通院

病院通いは今回で終わりで、かかりつけ医に回されるかと思っていたが、鼻中隔湾曲症の手術はうまくいっているが、アレルギーの症状でもう少し薬を変えて様子をみるために一月後の受診を決められた。担当医からすると、いびきがなぜ生じているのか気になるらしい。鼻の奥を見てみると鼻水が多いのがやはり気になるようである。

鼻中隔湾曲症の治療から、アレルギー性鼻炎の治療に切り替わったという事である。鼻水の分泌が多くて、それが寝ている時のいびきに繋がっているのではないかという医者の判断である。

患者からすると、かかりつけ医でもよい、と思うが、医者の立場からするとメンツというか、やはり、次の医者にバトンタッチする時は完治に近い状態で渡したいものなのだろう。まぁ、よい、症状が改善するなら医者に委ねるしかないのである。 (この部分の記事を書いている時は、2023年4月14日(ほぼ一年から一年半前)で黄砂が非常に多く、花粉も結構な量が飛散していて気象庁も注意を促している時期である。)

高齢者としても価値があった

鼻詰まりを意識してから点鼻薬やアレルギーを抑える薬ばかりに依存し、指摘がなかったとはいえ、根本的な原因を放置して何十年。高齢者になってこういう手術をするとは思ってなかった。町医者がまだ「70歳でも価値があると思う」と背中を押してくれたから残りの数年から十数年を快適に暮らせそうに思う。むしろ、手術をしたおかげで寿命が5年ぐらいは伸びたのではないだろうか、と思ってしまう。手術直後の口呼吸だけの極度の不快な時期や鼻奥からのガーゼの取り出しの痛さの時は、手術した事を後悔もした。人それぞれだろうが、もし、身体が元気で鼻中隔湾曲症の鼻詰まりで悩んでいるのなら、お薦めする。たとえ、あなたが高齢者であってもだ。